パルファンAmor Mundi は、時代の荒波に翻弄されながらも、他者とともに生きる世界を信じて思索を紡いだ、20世紀を代表する思想家 ハンナ・アーレント(1906-1975)に捧げる香水です。
香り
明晰なシトラス・ハーバル調のトップノートに、煙を燻らすようにシスタスが漂います。時と共に癒しと赦しが訪れるように、ジャスミンの花々が綻びはじめます。
Top:レモン*、ベルガモット*、ローズマリー*
Middle:アラビアンジャスミン、ゼラニウム*、ラヴェンダー*、バジルリナロール*
Last:オポポナックス、シスタス*、サンダルウッド*、オークモス
*オーガニック認証取得。奥州産有機栽培のお米の発酵エタノールを使用。
パルファン Amor Mundi
<香水> 50mL
全成分
エタノール、香料
製造販売元
株式会社BLISS金澤パフューマリー
使用上の注意
お肌に合わないときは、ご使用をおやめください。火気注意。直射日光・高温多湿を避け、乳幼児やペットの手の届かないところで保管してください。
MADE IN JAPAN
自然由来指数(水を含まない)100%
オーガニック指数 89.8%
(ISO 16128準拠)
サイズ
香水瓶 55.5mm × 28mm × h 115mm
桐箱 76mm × 41mm × h 136mm
■ハンナ・アーレントと世界への愛について■
「わたしがあなたを愛するとは、あなたがあること、
あなたのあるがままを、私は欲する、ということだ」。
『アーレント=ハイデガー往復書簡集』
ユダヤ人としてドイツに生まれたハンナ・アーレントは、何不自由ない少女時代を過ごし、やがてその秀でた知性を哲学へと向けました。彼女は偉大な哲学者であるマルティン・ハイデガーやカール・ヤスパースらの下で学び、22歳の若さで博士号を取得します。そんな彼女の行く手には、時代の暗雲が立ち込めていました。ナチスの政権掌握とユダヤ人迫害の開始、収容所への移送とそこで行われた数々の殺戮…。
いくつかの幸運に助けられてアメリカにたどり着いたアーレントは、小さなコラムニストの職を得ます。35歳となったアーレントは、新天地アメリカで、一から英語を学び始めました。執筆活動を通じて徐々にその知性を認められたアーレントは、『全体主義の起原』(1951)や『人間の条件』(1958)、『エルサレムのアイヒマン』(1963)などの作品を発表します。代表作となった『人間の条件』を、知人に宛てた書簡の中で、彼女は密かに「アモール・ムンディ」すなわち「世界への愛」と呼びました。
「世界への愛」とは何でしょうか? この問いの手掛かりは、若きアーレントが恋焦がれた師、ハイデガーからの手紙に隠されているのかもしれません。「あるがまま」のあなた、嘘偽りのない「ほんらいの」あなたを欲する、というハイデガーからの愛の告白は、ユダヤ人であるがゆえに「あるがまま」の存在を世界から否定された彼女にとって、どれほど大きな支えとなったことでしょう。あなたに存在してほしい――この他者に対する力強い肯定は、やがて「世界への愛」へとのびやかに広がっていきます。「世界への愛」は、崩壊しつつある世界を目の当たりにしつつも、他者とともに生きる世界の存続を願った、思索者ハンナ・アーレントを象徴する言葉です。
(文:大形綾/日本アーレント研究会)
ハンナ・アーレント(1906-1975)
ドイツのユダヤ系の家庭に生まれ、マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学び、1928年、22歳の若さで博士号を取得(『アウグスティヌスの愛の概念』)。
1933年ナチス政権が成立するとパリに亡命。亡命ユダヤ人救出活動に従事し、1941年アメリカへと亡命。1951年『全体主義の起源』を発表、アメリカ市民権取得。その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任。その他の代表作に1958年『人間の条件』、1963年『エルサレムのアイヒマン』など。